2020年3月に日本に帰ろうとした矢先、フィリピンでは突然ロックダウンになってしまい、ドタバタの中で空港閉鎖、自宅に軟禁状態となってしまった。
知り合いは次々のフィリピンを脱出していく中、フィリピン現地責任者としてフィリピンに残る決断をした。
当時一緒に働いていた日本人の同僚もフィリピンに残る決断をしてくれた。
そこからこれほどまでに長期に渡って日本に帰れなくなるとは想像もしていなかった。
タール火山の噴火に始まり、コロナ禍による何度もロックダウンを繰り返している中、大雨による洪水被害などフィリピンは災難続きだった。
少し落ち着いたつかの間、変異株が猛威を奮い、再度ロックダウンが宣言された2021年3月、急遽同僚が退職することとなり、日本にいる上司を緊急で呼び寄せた。その翌日空港が閉鎖された。
ギリギリセーフだった。
今度はワクチンの問題発生。
外国人にはいつ回ってくるかも分からない。その上、どんなワクチンを打たれるかも分からない。日本で承認されていないワクチンも多数で回っている。
そんな中、今後の活動に支障をきたすため、意を決して日本に戻ってワクチンを打つことにした。
上司には申し訳ないが、しばらくの間は現地をお任せし、日本へワクチンの旅に出かけるのだった。
そんな中で色々大変なこともあったので、これからフィリピンから日本に戻ろうとしている方の参考になればと思い、記事にします。
【まとめ】気を付けた方が良いポイント![ここだけ読んでもOK]
細かい話は置いといて、まずは自分が体験した中で、「これ知ってたらよかったのに」ということを列挙します。
厚生労働省指定のフォーマットで陰性証明を出してもらわないと日本に入れない。
陰性証明書はNAIAに入るゲートのガードマンにも車の中から見せるので常に携帯しておく。
陰性証明書はNAIAに入る時のガードマンにも見せる。
空港内は人は少ないが、荷物が多い人が多いのでかなり時間がかかる。3時間前にはNAIAに到着しておくべし。
成田に到着してから隔離ホテルに着くまで自由行動は一切許されない。
成田に到着してから隔離ホテルに着くまでコンビニにも行けないし、政府からの支援は一切ないので水や軽食はNAIAで搭乗直前に購入しておくべし。
成田に着いたらすぐに検査が始まる。その時に4日目以降の宿泊先は確保されていなければならない。自分は後で予約しようと思っていたのにそれは許されず、その場で4日目以降の宿泊ホテルを予約しなければならなかった。
一番驚いたのはアプリ関連の手続きの多さ。一体何回チェックすれば気が済むのか分からなくなるくらいチェックされる。しかも係員が私の携帯をいじる。
成田に降りたのに、「ここは日本なのか?」と思ってしまうくらい外国人の働き手が多い。ちょっと聞いてみると派遣だとのこと。最終チェックだけ日本人がいるような印象。人手不足丸出しだ。
隔離ホテルに着いたのは夜の9時。成田に着いたのが午後3時だからさすがに疲れた。その間飲食はなし。ホテルで弁当が配付された。
隔離ホテルは上野のアパホテル。成田から1時間半くらいバスで移動。長い・・・。
【出国3日前】陰性証明を確実にゲットしよう!
日本に入国するためには日本の厚生労働省が指定したフォーマットで陰性証明を出してもらわないと日本に入国できないらしい。
フィリピンではどこでもいいわけではないみたいなので、マカティメディカルのジャパンデスクに聞いてみた。
すると、手数料を払えばマカティメディカルで証明書の記入なども含めて全部やってくれるとのこと。
考えるのも面倒だったので全部お願いすることにした。
ちなみに私はいつもマカティメディカルのジャパンデスクの携帯電話にテキストメッセージを送るようにしている。
「7月15日に日本に帰国するんすけど、厚生労働省指定フォーマットで陰性証明を出してもらえますか?」
って聞いたら、
「全部代行するんでメールしてください」
と言われたので、指定のメールアドレスにパスポートコピーなど必要な情報を送りました。
検査は出発の72時間前以降の検査結果が出ないと無効らしいので、私は13日にPCR検査を受けました。
PCR検査についても、マカティメディカルの人が「〇時に○○に来てください」と指定してくれるので、その時間に指定の場所に行けばマカティメディカルの人に全部案内してもらえます。
全て言われた通りに順番に行えばいいだけなので楽ちんです。
ちなみにPCR検査は5,000ペソでした。
高いですね~。
まあ仕方ないですが。
そして翌日お昼ごろに携帯にマカティメディカルからテキストメッセージが届きました。
「陰性でした。証明書が出来上がりましたので都合のいい時にマカティメディカルに取りに来てください」
とのことでしたので、早速ランチを食べるついでにマカティメディカルに寄っていきました。
マカティメディカルは今は中に入るのは面倒なので、「〇時に行きます」と伝えたところ、「では入り口に付いたらテキストメッセージください」と言われたのでそうしました。
無事陰性証明をゲットし、無事ミッションクリアです。
【出国当日】空港には3時間前に行くべし!
飛んでいる飛行機が少ないので、NAIA内では人が少なめです。
オープンしているカウンターも相当少ないです。私が利用したのはJALでしたので第一ターミナルでしたが、第一ターミナルでその時間にオープンしているカウンターはJALだけだったと思います。
しかも、空港職員に「Are you Japanese?」って聞かれてすかさず「YES」と言ったら並んでいる列をすっ飛ばして前に誘導してくれました。
これはラッキーと思いすぐにチェックインできるかと思いきやここからが長いのなんのって・・・。
というのも周りは大荷物の集団ばかり。1人チェックインするのに15分くらいはかかっていたのではないでしょうか。
もうみんなフィリピンから脱出(?)するかのごとく引っ越し荷物並みでした。
飛行機を降りる時に何となくわかりましたが、実は乗客のほとんどは乗り継ぎの乗客だったんです。
カナダ行きが多かった印象です。
そう、成田は単なる乗り換えだったんですね。
結局日本に降り立ったのは私の飛行機では20名くらいだったと思います。
かなり少ないですね。
とまあ予期せぬトラブルもありえますから、いつもより早くNAIAに向かった方が賢明です。
ちなみに空港内のショップは営業率60%といった印象です。
お土産店などは閉まっている店が多かったですが、スタバなどのカフェはちゃんと営業していましたので、私はスタバでまったりパソコンを開いて仕事してました。
スタバは空いていたので早く行って正解でした。
【日本入国後】入国後の方が大変!飲食準備が大事!
そして日本到着まではまあまあ想定の範囲内でした。
しかし、大変なのは意外にも日本入国後です。
まず飛行機が着陸してから降車できる順番が決まっています。
乗り継ぎ便との兼ね合いもあるためその時々により違うと思いますが、カナダ行きへの乗り換えの乗客が一番最初に降りていきました。
その次に日本に滞在する乗客でした。
それほど待たなかった印象ですが、場合によっては長くなるそうなので気を付けてください。
そして飛行機を降りてからは全て空港職員の指示で行動します。
まず飛行機を降りた直後、降りた人全員が並ばされます。
ここで空港職員が人数をカウントします。おそらく成田で何人下りるのか把握しているので下りるべき人だけが下りているのか確認しているのでしょう。
そこでも10分くらい待ちました。
たまたまオリンピック期間だったこともあり、報道陣がカメラを構えてたくさんいました。
そのあとは少し歩いて行った場所に待機場があり、並べてあったパイプ椅子に順番に座っていきます。
そこでこれからの宿泊場所の記入、連絡先の記入を行います。
入国後最初の3日間は政府が用意したホテルに泊まるのでいいのですが、4日目以降は自分で宿泊先を予約しておかなければなりません。
私は3日間の強制隔離期間中にじっくり探せばいいやと思っていたのでこの時点では特に4日目以降の宿泊施設は予約していなかったのですが、なんとここで4日目以降の宿泊施設も予約がないとダメとのことでした。
ちなみに、空港からは電車、バス、タクシーは禁止ですので、家族が日本にいる方は家族の方に成田まで迎えに来てもらうか、もしくはハイヤーを予約するか、自分でレンタカーを借りるかの3択しかありません。
私は運転免許が切れていたので、レンタカーは無理、家族は遠いので難しい、ハイヤーは高すぎるので諦めました。
ということで、その場でパソコンを開いて、空港のWiFiにつなげて泊まれるホテルを探しました。
ちょうどホテル日航が残り2部屋で空いていたのですかさずそこを予約し、用紙に記入することで事なきを得ました。
皆さんも4日目以降の宿泊先が決まっていない方は私のように慌てないためにも事前に決めておくことを強くおススメします。
その後は色々な質問を受けたのち、いよいよ検査です。
ちなみに、私は当時風邪をひいていたので、めっちゃ咳してました。
体調が悪いかとか薬飲んでるかとかアンケートがあるんですが、そこで嘘をついてもしょうがないので正直に回答しました。
その場で熱を測られ、細かい質問を受けましたが、経過観察ということで解放されました。
特におとがめはなく、無事通過できてよかったです。
検疫係員の方は優しかったのが救いですね。
若い青年っぽかったですが思わず「お疲れ様です!」と声をかけてしまいました。
毎日何度もこんな応対してるのかと思うと適当にやってしまいがちですけど、まったくそんなことはなく、本当に頭が下がる思いでした。
その後検査でしたが、日本は唾液で検査するんですね。
フィリピンでは何度も鼻や喉の奥をクイクイやられましたけど、日本はなんとも人間にやさしいやり方で安心です。
しかしこれがまた結構難しく、何と言ってもまったく水分を採っていないので全然唾液が出ないんですよ!
レモンの写真とか梅干しの写真があるんですけどそんなもんじゃ中々出ません・・・。
検査が終わるまで結構時間かかりました。
皆さんも唾液を出す訓練をしておきましょう。
そのあとからが大変でした・・・。
アプリの設定祭りです。
なにが大変って「とにかくアプリをちゃんと設定しているのか」をこれでもかってほど確認されます。
一体何回確認させられたことやら・・・。
日本はいつこんなに人を信用しなくなったんだろうか。
これも結局政府の自己保身なんだろうなあと思ってしまいました。
要はこれでもし漏れていたら政府が叩かれるから叩かれないように、もしくは叩かれても言い訳できるように「政府はちゃんとやってますよアピール」なんでしょう。
それにしても一体アプリの設定だけで何部屋使ってんだ!?っていうくらいに広いスペースを借り切ってやってました。
これが国の税金から出ていると思うと悲しくなります。
しかも働いている人はほとんど外国人・・・。
日本人は最後のチェックくらいでした。
ちょっと一人の外国人に話を聞いてみると、留学生からの、技能実習生からの、派遣労働者だそうです。その方はバングラデシュ出身でした。
きれいな上手な日本語を話していましたから結構長く日本にいるんでしょうね。
日本大丈夫か?とても心配になりましたし、日本の現状の縮図を見た気がしました。
そんなアプリ迷路を進んでいくと、ようやく待機室に案内されました。
ここでたくさん待たされると予想していましたが、待ったのはたぶん20分くらいでしょうか。
数時間を覚悟していたので意外と早かったなという感じです。
まあアプリ迷路で相当時間を使ったので結構時間が経っていたのだと思います。
そこで、パスポートに貼られた番号で呼び出されます。
その日に宿泊するホテルごとに呼び出されるようで、その時に初めて自分は「アパホテル」に泊まることが分かりました。
係員に付いていくと検査結果を渡されました。結果は陰性でした。
そこで同じホテルに泊まる人がまとめられてそこからイミグレに向かいます。
イミグレを通過したら預けた荷物を取り、税関を通って外に出ますがそこで待機です。
ちなみに、オリンピック期間中だったからか、税関がめっちゃ厳しかったです!
質問の量もいつもの5倍くらいあっかたもしれません。
その上にスーツケースも開けられて、入念に調べられました。
それにとどまらず、中に入っていたコーヒーパック(3 in 1)を5袋くらい取られ、「X線検査します」とか言われて持っていかれました。
まあただのインスタントコーヒーなので全然いいですけど、インスタントコーヒーをX線にかけられたのは初めてでした。
そこでも10分以上はやり取りがあったと思います。
ようやく税関を抜けたらあとはひたすら迎えのバスを待ちます。
ここでも自由行動は一切許されません。コンビニにも行けません。
喉か湧いたなあ、腹減ったなあとか思いながら待っていましたが、バスが来たのは夜の7時過ぎでした。
そこからバスに乗っていく先はなんと上野!
成田空港から1時間半くらいかかりました。
そしてホテルに着いたものの、チェックインは1人ずつ・・・。
ここでも結構待ちました。
そしてようやく呼ばれて中に入ると、係の方から説明がありました。
結構色々規則があって、要は部屋の外に出るなってことなんですが、大事なのは、毎日朝8時に体温を測ってアプリで報告せよってこと、飯は毎日3回配るから部屋で待て、なんかあったら内線しろってことです。
体温を測り忘れると速攻で検疫所から電話かかってきます。
アプリ経由での電話なんで電話場号とかはありません。折り返しもできません。
体温が報告されてないのですぐに入力して報告してくださいとのこと。
アプリの電話に出ないと、今度は部屋の電話にかかってきます。
なんだかいつも監視されているみたいですね。まあ監視されてるんですけど。
そんなこんなで退所日になりました。
退所日の朝7時に検査キットが配られるんで、またそこに唾液を入れて、7時半に検疫官が回収に来るので検疫官に手渡しします。
そのうち電話がかかってきて検査結果を伝えられます。
無事陰性が確認できると、その日にホテルから出られます。
とは言っても自由になるわけでなかうて、予約していたバスの時間に合わせて出るだけです。
部屋を出る際も電話がかかってきてから出ないと出られません。
無事電話がかかってきて、「部屋を出てください」と言われたら部屋を出てフロントに部屋の鍵と体温計を返却して、そのまま用意されているバスに乗り込みます。
そして上野からまた成田空港第2ターミナルに戻されました。
その後、巡回している検疫所のバスに乗って次のホテルまで送ってもらいました。
長いような短いような3日間の強制隔離期間が終了し、続きの11日間を過ごします。
思い出しながら時間を追ってダラダラ書いてしまいましたが、フィリピンから日本へ帰国される方にとってイメージできれば幸いです。