私の仕事はフィリピンを盛り上げることである。フィリピンに沢山の投資を呼び込み、雇用を創出し、フィリピン国の成長に寄与することだ。
そんな中、財務省からの税制改革で今までの優遇税制が大幅に削減されるという投資意欲を削ぐような法案審議が続き、その結果投資見込みのほとんどがベトナムに流れてしまった。
米中貿易摩擦の影響から生産拠点の移転を検討する企業もあり、それもフィリピンにとっては絶好のチャンスであったが結果は思うようには伸びず、こちらもベトナムの圧勝。
その流れの中で迎えたコロナ禍。最長ロックダウンもむなしく感染者数は増え続け、経済の停滞により数百万人の失業者を出した。それら失業者を支える十分な財政もなく、企業を支えるなんてもってのほかであった。
中途半端な中で経済を再開せざるを得ず、しかし財政不足からコロナ増税の話もちらほら聞こえるようになった。
そんなコロナ禍でも、政府は空港の名前を変えようとしてみたり、砂浜を作ろうとしてみたり、今日の食事にもありつけない人々がたくさんおり、家族を捨てる人まで出たり、強盗や恐喝などの犯罪も増える中で一体どちらを向いて政治を行っているのか分からなくなる。
そのような背景の中、私の身近にも何とも理解に苦しむ”事件”が起きた。
PEZAが理事会を開いてくれないのである。通常であればPEZAは毎月2回、新規投資を承認する理事会を開催し、投資を誘致している。この理事会を通過すればPEZAとして優遇を受けられ、ビジネスを開始できるというものだ。だからこの理事会の開催がないと先に進めない。
我々は通常通りPEZAに投資案を提出した。しかし、理事会の日程はまだ決まっていないという。なるほど、コロナ禍だから流動的なのだろう。そこまでは理解できる。しかし、問題はここからだ。その後、臨時の理事会の日程が決まったと担当役人から連絡があった。よしよしこれで理事会開催だな、と思い、理事会翌日に結果を聞いてみた。するとなんと、理事会は開かれず3週間後に延期という。おっと、随分先になったなと思ったが、まあしょうがない。クライアントには事情を説明なんとか納得してもらった。普通はこの時点でブチギレてもいいはずだが。
そして、2回目の延長された理事会の翌日に再度担当役人に結果を聞いた。するとなんと、今回もまた開催されなかったというではないか!さすがにおかしいと思った。理由を聞くと、引っ越しで忙しいから、とのことだった。。。確かにPEZAは本部の移転途中だった。しかしそれは理事会後でもいいのではないのか?こっちは数十億円を掛けた大プロジェクトだ。会社の命運をかけた一大プロジェクト、クライアントにアドバイスする側だって緊張するんだ、こういうのは。しかし引っ越しがあるからと2回も理事会を延長してしまうPEZAの神経。。。コロナ禍で投資が減っているのだから新規投資は間違いなくほしいはずだ。
別に感謝してくださいよとは言わないが、お金が足りない時に、状況が悪く撤退する企業も出始めている中で大型の新規投資を行ってくれる企業があるのだ。雇用だって数千名規模を予定している。しかも田舎でだ。こんないい話はないではないか!私が役人だったら引っ越しなんか後でいいからすぐに投資の承認をしてすぐにお金を振り込んでもらえるように段取りするのだが。
その1週間後、ようやく理事会が開かれ、無事投資案は承認された・・・。
この件と国会の動きがダブって見えたのは偶然だろうか・・・。
フィリピンは民主主義国家だ。国民が選んだ政治家だ。文句は言えない。それにしてもあまりにも人民の環境を理解していないのではないかと疑問に思わざるを得ない場面が多い。
今度一緒にご飯を食べる予定なので直接聞いてみたいと思う。
この国をどうしていきたいのか。
フィリピンに来たことがない人に伝えておきたいのは、フィリピン人はとても真面目だということだ。日本の報道はごみ山だとか飲み屋だとかそういう報道ばかりなのががっかりである。もちろん嘘ではない。しかし、私はフィリピンに住んでいてふざけて働いている人に出会ったことはない。働ける、仕事があるというだけで家族の中ではヒーローなのである。フィリピンではみんなが働けるわけではないのだ。大学を卒業していても就職できない人も多い。高卒やそれ以下の人であればなおさらだ。そもそも学校に行かせるだけで一苦労なのである。フィリピンでは大家族だ。8~10人兄弟なんて普通だ。でもさすがに10人も学校に行かせるとなるととても大変。では親はどう考えるか。そう、このうち1人か2人に集中的に投資し、学校に行かせ教育を施し、サラブレッドを育てるのだ。そのうちうまく行けば大学に行き、海外で就職するチャンスを得られるかもしれない。海外で就職できなくても、国内で定職に就ければそれでもいい。定職に就けばまた海外に出るチャンスはある。それでサラブレッドに育てられた1人がその他両親を含めた家族を養うのだ。
そう、あなたが日本で出会ったそのフィリピン人は、その子の家族の中のエリートなのである。その子の肩には10人以上の生活がかかっているのだ。しかもその兄弟の中には自分の仕送りで学校に行っている兄弟もいる。仕送りが止まれば学校に行けなくなる。つまり、海外で働いているフィリピン人というのは自分のためにお金を稼いでいるのではなく、フィリピンにいる家族のため、兄弟の教育費のために働いているのである。
こんな状況だから遊んで働くなんてありえない。両親が必死になって育ててくれて海外で就職できた。こんな恩義は裏切ることはできない。フィリピン人は家族の絆をとても大事にする国民である。日本もかつてはそうだったと思うが、フィリピンでは家族以外を信じることができないという歴史的背景もあってか血のつながりは非常に固いものがある。
逆に言えば家族を守ることができるなら手段を選ばないという一面もあることは覚えておかなければならない。すべては家族に優先する。
普段接しているフィリピン人からは想像できないと思う。普通に接していればみな明るく、陽気で、一緒にいても楽しいからだ。でもそういう態度を取るのはそういう態度を取った方が生き延びれたからだと思っている。フィリピン人は目を合わせるとほぼ90%の確率で笑顔になる。どんなに見知らぬ人でもそうだ。これは非常に興味深い。単に陽気だからなどという言葉では片付けられない歴史的背景がそこにあるように思う。
そのヒントは、RCBCユチェンコタワーの最上階にある大きな絵画にあると教えてもらった。。。