USCPAのフィリピンライフ
フィリピンの課題

医療制度から見えたフィリピンの現実【義父の死を前に思うこと】

2020年1月3日午前2時過ぎ頃、妻の携帯電話に親戚のおじさんから電話がかかってきた。

タガログ語だったので詳しい内容は分からないが、どうも義父が息を引き取ったようだった。

2020年11月初旬に腎臓の機能が低下していることが発覚し低タンパク質食を余儀なくされていた義父だった。

地元のクラークだけでなく、ケソン市にあるセントルークス病院にも入院した。

ケソン市の病院に入院していた頃は、私の家からさほど遠くなかったこともあり、お見舞いに行くことができたが、その時は会話する能力がなく、話をすることはできなかった。

しかし、その後、クラークの病院に戻り、薬の投与を始めた頃はだいぶ回復し、一時は会話がスムーズにできるほどだった。

私もクリスマスには義父に会いに行く予定にしていた。

クリスマス前に義父の電話で会話することができた。

「クリスマスには会いに行くからね」

結局これが義父との最後の会話となった。

ケソン市にいた頃にお見舞いに行っても話ができなかったことからすると、相当回復していたのは分かったし、何より会話ができて本当に良かったと思う。あの機会を逃していたら一生後悔したことだろう。

医療費は先払い。お金を払わないと治療も薬も享受できないフィリピンの現実

義母や妻は義父に対して治療できることは何でもやった。

ご存知の方も多いかもしれないが、フィリピンでは日本のような皆保険制度はない。

全くないわけではないが、雀の涙とはまさにこのことだと思わざるを得ないくらいの金額しか出ない。

それはフィリピン人の給料が低いために源泉徴収額も少ないからということと、そのそもフィリピンでは働いている人が少ないからということだ。

これに加えて、医療用器具や機械は全て輸入に頼っている。そのため海外の高額な器具や設備に頼らざるを得ないため、医療費がとでもなく高い。

そんなに高いものだから、きちんとした治療を受けられる人も相当限定されてくる。

だから医療用機械の代金が全然償却できず、利用者に対して高額な医療費を請求しなければならないという悪循環に陥っていると思われる。

しかし、だからといって、フィリピン人が日本人よりも病気にならないわけではない。むしろ、食生活な住環境からすれば日本人よりも病気になるリスクは当然高いはずだ。

フィリピン人の給料は大卒で5~6年のキャリアがあってよくても月給5万円、年収で60万円程度しかない。

今回の義父の治療費で恐らく200万円くらいは使ったのではないだろうか。

年収60万円の人がどうやって200万円を一瞬で出せるだろうか。

こんな現実から、ほとんどのフィリピン人は治療させてあげたくてもきっと泣き寝入りを余儀なくされているんだろう。銀行口座すら持てない人も多いので、銀行等の金融機関から借金できるわけもない。国も財政難で余力はなし。

そんな中で、衝撃な事実に遭遇した。

義父は1月2日の朝に透析を受けていた傷口から感染し、血液が良くない状態に陥ったという。

すぐに集中治療室(ICU)に入り治療を受けなければならない事態だという。

「治療すれば助かる可能性があるのならいますぐICUに入れてくれ」

家族は二つ返事だった。

ところが、である。

病院側は「まずはお金を支払ってください。支払いが完了しないと治療を開始できません」

私は一瞬耳を疑った。

「は??何を言ってるんだ!?ICUに入らないといけない状況なんだろ!?一秒でも早く治療しないといけないんだよな?だったら金は払うからさっさとICUで治療してよ!」

しかし、病院側は譲らなかった。

結局すぐにお金を払い、ICUに入れたのは1月2日日の夜だった。

そして2時間後に亡くなった。

ここまで腹が立ったのは久しぶりだった。

ICUに入るのだって安くない。それでも払うのは救える命があるなら救うべきだと思ったからだ。でも一秒を争う時に金の話を持ち出されるのは本当に悲しかった。

人の命より大事なものがあるのか・・・。

そんな現実をつきつけられた瞬間だった。

資本主義の現実と国家ビジョンの重要性

私はフィリピン人がなぜフィリピンから出て行きたがるのかを本当の意味で理解できていなかったし、今でも理解できていない部分は多い。

私は日本人だからなのか、はたまたフィリピンにおける日本人の待遇を感じているからなのか、日本人として祖国に貢献しなければならないという意志は変わらない。日本で生活するのは大変だし、弊害となる面もたくさんあることは分かってる。それがゆえに30代前半で日本を飛び出し、海外での生活をスタートすることにしたわけだが、海外に来ると総合的には日本の素晴らしさが目立つようになる。

フィリピンでは民主主義・資本主義が採用されている。

つまり、お金持ちが国をコントロールできる世界ということだ。お金持ちが政治家を担ぎ、政治家はお金持ちの方向を向いて政治を行う。政治家は公約という名のもとに支援者に向けて有利な政策を進めるのは当然であるから当たり前である。

しかし、問題なのはお金持ちが本当の一部に限られており、お金持ちでない人との差が大きすぎることにある。お金持ちではない人がどれだけ頑張ってもお金持ちになることはできない世界がフィリピンにはある。

フィリピンのお金持ちは想像を絶するほどのお金を持っている。

家は豪邸、メイドは常時5~6人、2メートル先のテーブルにある水を取るのにもメイドに指示して取らせる。車は1人1台以上、高級車。土地保有者かビジネスオーナーで基本的に家賃&配当で暮らす。

こんなお金持ちだからいくらお金を使っても減らないし、使う以上に増えていく。

こういう驚くべき富裕層がフィリピンにはいて、その人たちが政治家を選出し、自分のやってほしい政策を進めてもらうのだ。

一応民主主義なので1人1票だが、誰を選んでいいかなど普通の国民には分からないため、お勧めされた人や知っている人に投票することになるだろう。これは国民に対して必要な教育を与えていないという裏事情もある。つまり、国民に十分な判断力がないのだ。だからいい政治家を選ぶと世界が変わるかもしれないという発想はない。もしくは誰を選んでも一緒だという最初からあきらめムードもあるかもしれない。

こういった背景により、お金持ちはさらにお金持ちになり、お金がない人はその日の食料を確保するので精一杯という生活になり、将来のことを考えるなんてとんでもないとなってしまうのだ。

ただ、一定以上の教育を受けられた人であればこの構造は理解している。

そういう人たちはどうするかというkと、フィリピンにいてもじり貧だから海外に行ってお金を工面しようとするわけだ。

フィリピン人は比較的英語ができるのと、親しみやすいキャラクターも相まって、すぐに異文化に同化することが得意だ。言語能力も高いため、その地の言語もすぐに話せるようになるし、家族や友人を大切にする価値観から人気者にもなる。

それほど高度な技能が不要な職種であっても、フィリピンでは時給100円のところ、日本では時給800円くらいになるので、フィリピンで働く1日分が日本では1時間でゲットできる計算になる。賃貸で友達や親戚などと一緒に住めば家賃も下げられる。フィリピン人はベッドスペースさえ確保できれば生きていける人も多く、わざわざ部屋ごと借りなくても大丈夫だ。

このように海外に行ってお金を工面し、そこで思いっきり節約して貯金してフィリピンに戻って大きな家を買い、家族で静かに暮らそうとする人もいる。

もしくは貯金したお金を元手に自分でビジネスを興し、ビジネスオーナーになる人もいる。

一部の優秀な人は様々な企業を転々とし、日本のサラリーマン以上の年収を確保する人もいる。

今でこそ厳しくなったものの、アメリカやカナダに行ってそのうち永住権やその国の国籍を取得する人もいる。そうすればフィリピンパスポートではビザがないと行けなかった国にもビザなしで渡航が可能になったりするので生活が各段によくなる。

そこで、不思議に思ったことがある。

優秀な人がどんどん海外に出て行ってしまうのは、国にとってはマイナスなのではないか。

フィリピンの発展ということで言えばその通りだと思う。しかし、ここにはからくりがあって、フィリピン人は家族を大事にする。フィリピンではあまりお金を稼げないので、世帯収入は高くない。それにもかかわらずまともに受けさせようと思ったら教育費は高い。ではどうするか。

家族の中で優秀そうな子供を選抜し、その子にのみ集中的にお金を投じる。大学にも行かせる。そしてその子が海外で働くのだ。すると、海外で稼いだお金をフィリピンに残っている家族に送金させる。そして送金されたお金で家族はフィリピンで生活するのだ。

これでフィリピンは一大消費マーケットになる。お金は海外から送金させ、そのお金をペソに両替し、そのお金をフィリピンで消費させる。これで、国としては潤沢な外貨が稼げるし、外から入ってきたお金でフィリピン経済を回すことができる。これでフィリピンの事業家も儲かるし、税金も取れるので税務署も喜ぶ。しかも、海外からの送金で一家が養えるので他の家族は働く必要がない。そのため雇用機会が少ないフィリピンで職を増やすことも必要ない。教育を与えないから国内から逸材が出てくる心配もないわけだ。

この結果、優秀な人から海外に出て行き、せっせとフィリピンに送金し、フィリピンに残っている人はひたすらお金を使って経済を回し、その経済から得た利益を事業家と国が分け合うという構造が出来上がるのだ。

今やフィリピン国外に約1,000万人ものフィリピン人が出稼ぎに出ているという。フィリピンは人口が1億人ちょっとなので、人口の10%が国外にいるという計算だ。これは異常な事態である。でもそれを推進してきたのは政府だし、これに歯止めを掛けようと思っていないのも政府だ。

こんな状態だから、医療を受けようと思ったらフィリピンでは難しいことはよく分かる。

国の財政が貧弱だと国民の命を救うこともままならない。

こんな状態では人材流出が止まらないことは明白だ。

国家ビジョンが「海外への優秀な人材の派遣」であれば今の通りであるが、フィリピンとしてこのままでいいのか非常に疑問である。

まとめ:医療は国民平等に受けられるべき

お金持ちの命は助かり、お金がない人の命は助からない。

そんな国家にしてほしくない。命の重さは平等であるべきだ。所得格差は仕方がないことだが、せめて緊急時にはそれを政府が補填するくらいの制度はあってもいいのではないだろうか。国家は国民なくして成り立たない。国民一人一人が国家を形成しているのであって国家という誰かがいるわけではない。フィリピン人が誇りを持って安心して一生を過ごせる国になってほしいと心から思う。すぐには難しいことは分かる。しかし、国家がビジョンを示すこととそれに一歩ずつ近づける努力は国民全員で進めていくことはフィリピンの将来には必要だろう。

義父の死を前に改めて考えさせられた。

お父さん、今までありがとう。

頑張れフィリピン!

ABOUT ME
ようちゃん
こんにちは! 本ブログの運営をしているようちゃんです。 学生時代は部活(水泳部)とバイトに明け暮れ、勉強はほったらかし。大学4年生の時に就活しながら1年生と授業を受ける講義もあり、リクルートスーツを身にまとったおっさんは新入生に白い目で見られながらもなんとか卒業にこぎつけた。 英語が好きだったこともあり、将来はなんとなく海外で働いてみたいなあとぼんやり思っていました。 そこで、大手総合商社を中心に、海外駐在できたり、世界を飛び回れる仕事をやらせてもらえそうな会社を選んではひたすら受けまくりました。 運よく海外に拠点を広げ続けている上場企業の商社に入社できました。 入社前の先輩社員との懇談会で台湾やイギリスなどに駐在経験があった社員から海外駐在時の話を聞くことができ、自分も同じようなキャリアを描けるのかもと社会人人生を楽しみにしていました。 しかし、配属先は経理部に。経理なんてなにをする部署なのかもわかっていませんでした。一体いつになったら海外に行けるのか。そんな不安とともに社会人生がスタートしました。 結局新卒から10年ほど上場企業の正社員として経理部で働きました。その間に紆余曲折がありながらもUSCPA(米国公認会計士)のライセンスを取得。 当時の後輩がインドに赴任したことをきっかけにバックオフィス周りの指導やサポートを行っていました。その後輩は営業経験しかないのに、インド法人を丸ごと任されてしまい、営業以外の仕事をどうしたらいいのか困っていました。私は営業はできませんが、経理を中心とした事務系の仕事はある程度アドバイスできました。当時としては大したサポートにはなっていなかったとは思いますが、それでもとても感謝されました。 そこで思いました。 海外に出ている日本人は同じように困っているに違いない。それなら今の会社だけでなく、たくさんの会社をサポートできるかもしれない。 このインドに放り込まれた後輩をサポートしたことがきっかけで、自分の人生設計を見直した結果、上場企業の正社員という安定した地位を捨て、2015年に突然フィリピンに移住し、海外コンサルタントとして働き始めました。給料が日本にいた時の3分の1近くになって嫁に怒られ、嫁ブロックにあいながらも何とか凌いでいます。 私の予想通り、海外に出た日本人の駐在員は困っていました。 そこで海外コンサルタントの出番です。 日本の常識は海外ではなかなか通じません。 とは言っても、日本のやり方でビジネスを進めていく必要がある場面もたくさんあります。 だからこそ海外コンサルタントは必要なのですが、少子化のせいなのか、若者の海外離れのせいなのか、海外コンサルタントは圧倒的に足りません。 あなたのサポートを待っている企業が必ずあるはずです。 本ブログを通じて、少しでも海外コンサルタントに興味を持ってもらい、海外コンサルタントの世界に参加してくれる仲間が増えてくれれば、駐在している国はもちろん、日本も元気を取り戻してくれることと確信しています。 ぜひ仲間になりましょう!