USCPAのフィリピンライフ
仕事

政府の方へ。頼みます。フィリピン人の給料を給料を引き上げてほしい!!(医療従事者の給与比較)

今日はぜひ知って頂きたいことがあります。

フィリピンの医療従事者についてです。

フィリピンのニュースサイト「Unang Hirit」によれば、フィリピンの医療従事者の所得水準は東南アジアで最低レベル、とのことでした。

フィリピンの医療従事者の給与は、22,000ペソ~42,000ペソ(エントリーレベル)。

ベトナムの医療従事者の給与は、62,000ペソ(エントリーレベル)。

インドネシアの医療従事者の給与は、79,000ペソ(エントリーレベル)。

タイの医療従事者の給与は、83,000ペソ(エントリーレベル)。

マレーシアの医療従事者の給与は、97,000ペソ(エントリーレベル)。

シンガポールの医療従事者の給与は、236,400ペソ(エントリーレベル)。

日本円にすれば大体下記になります。

フィリピン:44,000円~84,000円

ベトナム:124,000円

インドネシア:158,000円

タイ:166,000円

マレーシア:194,000円

シンガポール:472,800円

フィリピンのことをあまりご存じない方のために申し上げておくと、この中でもフィリピンの医療従事者の給料がめやくちゃ安いと思うかもしれませんが、最低レベルの22,000ペソですら結構いい給料なんです。普通大卒であれば、12,000ペソくらいのところもあるし、マニラでも14,000ペソとかからスタートです。それが新卒で22,000ペソもらえるんだから結構いいんですよ。普通に22,000ペソといえば、入社5~6年クラスの給料です。それが医療従事者ということで初任給が高く設定されています。ですからフィリピン国内で働いて住んでいる分には結構悪くない生活ができると思います。

が、しかし!!今回衝撃を受けたのはそれでも東南アジア最低ということです。

ショックなのはベトナムとインドネシアよりも低いということです。

ベトナムとインドネシアを馬鹿にするつもりは毛頭ありませんが、フィリピン人は英語もしっかり話せますし、ホスピタリティもバッチリです。人間関係を大事にするし、なにより年配者には敬意を払います。決してベトナムやインドネシアには負けないと思います。それでもこんなに給与格差があるとは本当にショックでした。

フィリピンは出稼ぎ労働者が多いと聞きますが、これは納得できます。シンガポールに行けば、たった1ヶ月でフィリピンで働く1年分くらいをもらえるわけです。そりゃ海外で働くわ・・・。シンガポールは英語ができればOKですしね。

政府も外貨獲得の手段として労働力をせっせせっせと海外に送り出してきました。国民を輸出しているということです。国内で働く場所がない、働く場所があっても給料が安い、ということで、優秀な人から海外に働きに行きます。そして、海外で数年住んだらそのまま永住権を取得し、場合によっては国籍も取得し、フィリピン国籍も維持してダブルパスポートになります。これで海外に住みながらもフィリピン人としてフィリピンでの優遇も受けられるわけです。そのうち家族も呼び寄せてみんなで移住!そして優秀な人からフィリピン国内からいなくなっていきます。これをある意味「国策」として推進し、良しとしてきたのは政府です。これなら賃金も上げなくて済むし、賃金が上がらないから雇用もしやすい。機械化するより手作業の方がコストが安くて済む。手作業がいっぱいあるのでスキルは上がらず技術力も上がらない。このようにしてフィリピンの機械化は一向に進まないのです。効率化しようなんていう考えには至らないのです。だって効率化する必要がないから。人の値段(給料という意味です)が機械の値段よりも高くなって初めて、人間or機械の選択を経営判断として考えはじめるわけで、人間の値段が低いままでは仕方がないことでしょう。逆に人手に頼るから、1つの機械を導入すれば済む作業を10人雇用して手作業にすれば、単純計算で10倍の雇用が創出できますから機械導入を進めるメリットは国にはありません。

そんな中でコロナ禍になってしまった。

ここで大統領が「海外に働きに行かないで国内でコロナ対策してよー。君たちはフィリピンの英雄だ!」みたいなことを言ってみたり、「医療従事者は海外で働くの禁止!!」ってすごんでみたり・・・。

呆れました。いまさら何言ってるんだろう。政府がせっせと海外に送り出して外貨を稼がせてきたんじゃないか・・・。そしてその稼いできてもらった外貨でのほほんと暮らしいていたのが政府の人たちです。海外でまさに汗水たらして働いたフィリピン国民が給料のほとんどの部分を、ドルや日本円をフィリピンの家族に送金し、家族はそのドルや日本円をフィリピンペソに両替してフィリピン国内で「消費」に回していく、これが経済の根幹です。フィリピン人は優秀ですし、郷に入っては郷に従えの精神がありますからすぐにその国になじんでいきます。そのため世界中のあらゆるところで働けるのです。どこかの国と違って「〇〇タウン」とかは作らないので静かに暮らします。ですから受け入れてくれる国も多いと思います。その世界に散らばった優秀なフィリピン人が毎月様々な国からそれぞれの国の通貨でフィリピンに送金してくるわけです。これはフィリピンとしては何とも言えない強みでしょう。フィリピンペソは国内通貨であまり安定していませんが、フィリピンはこのように外貨を沢山持っていますからこれを担保にペソをそれなりに維持できるわけです。まさにフィリピン人が外貨を運んできてくれるがゆえにフィリピンがフィリピンでいられる、ということもできるでしょう。

フィリピンは深い歴史があって、国内産業はほとんどありません。強いて言うなら観光業でしょう。でもそれは自然を生かしただけですから自ら何か作り上げたわけではありません。フィリピン政府は国内産業をまじめに育ててきませんでした。優秀な国民が海外に出て行って外貨を稼いでフィリピンに送金してもらう。そうすれば国内は消費が活発となり、物がたくさん売れる。でも優秀な人がみんな海外に行ってしまうので国内での賃金は上がらない。そのため機械化するより雇用を拡大できる手作業に終始する。これにより経済発展はしない、させない。イノベーションも起こりようがない。それに輪をかけて大事な儲かる部分は外資規制をかけて外国企業は入れないことで国内企業を守る代わりに新しい技術や情報も入ってこない。

それでも深い歴史のお陰で、スペイン系の富裕層は土地を持っています。中華系の富裕層はビジネスを持っています。これにより、フィリピン国内で物が売れれば売れるほど、消費者マーケットのビジネスで儲かり(株主は配当がもらえますね)、ビジネスが儲かるからビルのオーナーが家賃で儲かり、ビルが儲かるから土地代も入ってくる。これがあるので、はっきり言ってイノベーションなんていらないんです。モノが売れればいいんです。モノが売れるためには消費者がバンバン買い物してくれないといけないので財布のひもが常に全開であることと、その軍資金がたっぷりあることがポイントですが、先述の通り、国民を輸出している限りはこのサイクルが可能なのです。フィリピン人はもらった給料はその日のうちに8割使うといいます。日本人みたいに貯金するという感覚はありません。だから海外で働いているフィリピン人が寝る間も惜しんで働いて稼いだお金はフィリピンに送金されたらあっという間になくなってしまいます。空からお金が降って来たかの如く、ですね。

話が脱線しまくりましたが、フィリピン国内で働く場合の給料をもっと上げていかないと、国民の海外流出は止まりません。でもフィリピン国内では給料が上がっては困る人たちが大勢いることも事実であり、その決定権を持っている、もしくは決定に影響を及ぼすことができる人たちがそのような人たちだったりもするわけなので一筋縄ではいかないのです。

そんな状況で「海外に行くな!」と言われても厳しいでしょう。日本の「ちょっと海外に行ってみよっ!」っていう感覚とは全然違います。1人の海外出稼ぎ労働者には家族はもとより、その親戚までもがそのお金をあてにしています。ですから1人の労働者の下には数十人がフィリピンで口を開けて待っているというのが現実です。だから海外で働いているフィリピンの労働者は肩にものすごいプレッシャーがかかっているのです。それでも海外に出ていかないと家族を養えないのです。

このような状況を少しでも変えるためにはどうしたらいいのか。フィリピン人がフィリピン国内で働きながら家族と一緒に幸せに暮らす当たり前の日々が来ることを切に願っています。

ABOUT ME
ようちゃん
こんにちは! 本ブログの運営をしているようちゃんです。 学生時代は部活(水泳部)とバイトに明け暮れ、勉強はほったらかし。大学4年生の時に就活しながら1年生と授業を受ける講義もあり、リクルートスーツを身にまとったおっさんは新入生に白い目で見られながらもなんとか卒業にこぎつけた。 英語が好きだったこともあり、将来はなんとなく海外で働いてみたいなあとぼんやり思っていました。 そこで、大手総合商社を中心に、海外駐在できたり、世界を飛び回れる仕事をやらせてもらえそうな会社を選んではひたすら受けまくりました。 運よく海外に拠点を広げ続けている上場企業の商社に入社できました。 入社前の先輩社員との懇談会で台湾やイギリスなどに駐在経験があった社員から海外駐在時の話を聞くことができ、自分も同じようなキャリアを描けるのかもと社会人人生を楽しみにしていました。 しかし、配属先は経理部に。経理なんてなにをする部署なのかもわかっていませんでした。一体いつになったら海外に行けるのか。そんな不安とともに社会人生がスタートしました。 結局新卒から10年ほど上場企業の正社員として経理部で働きました。その間に紆余曲折がありながらもUSCPA(米国公認会計士)のライセンスを取得。 当時の後輩がインドに赴任したことをきっかけにバックオフィス周りの指導やサポートを行っていました。その後輩は営業経験しかないのに、インド法人を丸ごと任されてしまい、営業以外の仕事をどうしたらいいのか困っていました。私は営業はできませんが、経理を中心とした事務系の仕事はある程度アドバイスできました。当時としては大したサポートにはなっていなかったとは思いますが、それでもとても感謝されました。 そこで思いました。 海外に出ている日本人は同じように困っているに違いない。それなら今の会社だけでなく、たくさんの会社をサポートできるかもしれない。 このインドに放り込まれた後輩をサポートしたことがきっかけで、自分の人生設計を見直した結果、上場企業の正社員という安定した地位を捨て、2015年に突然フィリピンに移住し、海外コンサルタントとして働き始めました。給料が日本にいた時の3分の1近くになって嫁に怒られ、嫁ブロックにあいながらも何とか凌いでいます。 私の予想通り、海外に出た日本人の駐在員は困っていました。 そこで海外コンサルタントの出番です。 日本の常識は海外ではなかなか通じません。 とは言っても、日本のやり方でビジネスを進めていく必要がある場面もたくさんあります。 だからこそ海外コンサルタントは必要なのですが、少子化のせいなのか、若者の海外離れのせいなのか、海外コンサルタントは圧倒的に足りません。 あなたのサポートを待っている企業が必ずあるはずです。 本ブログを通じて、少しでも海外コンサルタントに興味を持ってもらい、海外コンサルタントの世界に参加してくれる仲間が増えてくれれば、駐在している国はもちろん、日本も元気を取り戻してくれることと確信しています。 ぜひ仲間になりましょう!