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フィリピンでサプライチェーンが進まない!?産業が育たない原因はフィリピン人のマインドにあるかも。

フィリピンは長年の間、製造業の誘致を積極的に進めてきた。人件費の安さ、フィリピン人の勤勉さ、真面目さなどの強みを生かし、積極的に外国企業の製造拠点として宣伝してきた。仕事を得る機会が少ないフィリピンにおいては、大量の雇用を生み出してくれる製造業は非常に有難いはずだ。

2012年3月にジェトロから発行された「フィリピンの電子産業市場調査報告書」によれば、1950年代から米国の家電メーカーが進出を開始。それまで輸入に頼っていたフィリピンとしては輸入の代替えとして国内生産を加速させようとしたのだ。しかし、この頃はまだフィリピンにおける消費者市場が大きくなく、期待した成果は得られなかった。それにより、家電製造メーカーを支える部品産業も十分に発展しきれなかった。

その後、1970年代になると、マルコス政権が誕生。この時には、欧米の半導体メーカーがフィリピンに進出し始めた。ルソン島北部のバギオでテキサス・インスツルメンツが操業を開始。インテルやフィリップスも相次いで進出した。その後、テキサス・インスツルメンツは2009年にクラークに約10億ドルを投じて工場を建設し、現在でも操業している。

1980年代半ばになると、円高となり、いよいよ日系企業の進出が始まり、これがげ内のフィリピンにおける電子産業を形成する動きとなった。この時期には、日本電産コパル、矢崎総業、共立、旭硝子、ローム、クラリオンなどが進出した。

1990年代になると、ラモス政権の下で熱心な日本企業誘致活動が行われ、日立、東芝、富士通、NECが進出した。これらのに系企業が現在のフィリピン電子産業の姿を決定づけるものとなったとされている。これに伴い、日本からの部品供給事業も順次進出し、TDK、日本電産、保谷硝子などが進出した。

ここまでは順調であった。1950年代の米国家電メーカーの進出から約50年経過しており非常に遅いとは思うがそれでも前に進んでいる感はあった。こうした背景から、電子産業はフィリピンの輸出全体の60%以上を占めるまでになった。

しかし、ここまできても電子部品を製造する際の現地調達比率は低い。つまり、現地で部品が手に入らないのである。50年以上にも渡ってもの作りがフィリピンで行われてきているのになぜ部品の現地調達ができないのか。考えてみたい。

個人的な意見としては下記を考えている。

フィリピンでサプライチェーンが育たないわけ

①人材が育たない

・育った人材が高値で海外で就労機会を得る

人材が育たないと一言で言っても、中には自分の頭で考え、努力し、教えたことは素直に受け入れ、メキメキと実力を付けていく素晴らしい人材もいる。そんな人材の場合、ようやく一人前になったころ、欧米の会社に数倍の給料で引き抜かれていく。フィリピンでエンジニアとはいっても月給10万円~20万円がいいところだ。それが海外に転職した瞬間、40万円とか60万円になるわけだ。そりゃ転職するだろう。そしてフィリピンには戻ってこない。

・英語が堪能

これが海外への転職をさらに加速させる要因にもなっていると思う。海外に行っても英語圏であればコミュニケーションに支障がない、もしくは不安だけどなんとかならないわけではないと思った瞬間、転職に踏み切ることができる。

・技術を学ぼうという姿勢/マインドがない

自立できる従業員はどんどん海外に高い報酬で引き抜かれていく。そうなると、一般的にフィリピンに残っている従業員は海外就職できない人たちである。つまり、仕事を仕事と思っている人たちである。仕事は給料をもらうために、生活をするためにおこなうものであるという考え方の人である。それが悪いとは思わないし、日本の会社にもそういう人はたくさんいる。しかし、技術発展や地場産業の育成という観点からすると、朝9時から午後5時までの時間を言われたことをこなすことだけを行っている従業員が独立して会社を興して自らサプライチェーンの一角を担おうとは思わない。

・自分でやってみようという野心がない

上記とつながるが、もし前向きに技術を学ぼうという姿勢があれば、学んだ技術を生かして自分でもやってみようと思う人が出てきてもおかしくないはずだ。いくら会社で技術力が高くてもいくら成果を出そうとも所詮は従業員である。会社からの給料が多少増えたり、ボーナスが少し他人より多くもらえる程度である。しかし、学んだ技術を生かして独立すれば、所得は青天井になる可能性を秘めている。元の会社だけでなく、他の会社にも貢献できるかもしれない。そうやって夢は広がっていく。しかし、自分でやってみよう!と思わない限り、従業員として終わってしまう。地場産業はフィリピン人の手でやらなければ意味がない。最初は外国の人に教えてもらうにしても、最終的には自分たちだけで同じ製品、同じ品質でできるようにならなければならないのだ。

②環境が整わない

・場所が少ない(工業用地として使用できるエリアが限定的)

製造業を誘致しといてなんでやねんと思われるかもしれませんが、特にルソン島の南の現在日系企業が集積している地域はもう場所がない。厳密にはあるが、大統領が認可してくれないから進まない。製造業を誘致したいのかしたくないのかよく分からない。大統領としては地元に誘致したいようだがそれであれば先に道路などを整備してほしいところ。順番は大事。

・インフラが未熟(道路、港湾、空港、鉄道、停電)

近年頑張ってはいるがまだまだ。都市計画がマズかったので都会は一方通行が多く、また地主の力が強いため土地の収用が進まずうまく道路ができない。そのため渋滞がひどく陸路の時間が読めない。開発は多くの利権が絡み進まない。港で使えるのはマニラとバタンガスの2つだけ。物流を整備するなら港の整備は必須。大きな船がフィリピンにこれなければ大きな工場を構えたところでもったいないだけ。地方では送電網が弱く、停電頻発。これでは電気を使う製造工程は二の足を踏まざるを得ない。

・固定費が高い(土地代、電気代、税金)

土地はフィリピン人しか所有できない。スペイン植民地時代、土地はスペインが握っていた。そしてそれがスペイン人と結婚したフィリピン人に受け継がれており、それが今でも続いている。私有地のため勝手に開発できない。原発がないため化石燃料に依存。輸入に頼っているためコストが高い上に送電網が弱くロス率が高いためさらに電気を作らなければならず非効率。さらにアセアンの中でも特に高い法人税率。現在30%。一定の条件を満たした製造業には優遇税制も与えているが今後優遇税制は大幅に削減される見込み。

・販売先が少ない

そもそもの問題。鶏が先か卵が先かの議論になるが、フィリピンに進出しても販売先が少ないのでフィリピンに進出するメリットがない。従ってフィリピンに進出する企業が少ない。その結果、さらに進出しない、という悪循環になっている。国内マーケットが活発になれば自然と進出が進み、進出が進出を呼ぶはずだが阻害要因が多くありそこまでのブームに至っていない。

・政府の政策の方向性が不安定(何をしたいのか不明)

そもそもの問題はここにあると思っている。要はフィリピン政府が本気で誘致をしようとは考えていないと思われる。本気で誘致をするなら、必要なら地主から土地を収用し、工業用地をバンバン開発し、道路や港を中心としたインフラを整備し、税制を優遇し、ある程度の規模のサプライチェーンが出来上がるまでは横やりを入れない、という方針を打ち立てて準備を整えた上で、日本を始めとした各国に宣伝誘致に行く、各国首脳にフィリピンを売り込みに行くなどやれることはあるはずだ。そういうことをしているならまだしも、現在では製造業への優遇削減、工業用地の開発停止、増税など、とても製造業を誘致したいと思っている政府のやることとは思えない政策ばかりが打たれている。製造業はすぐに立ち上がる産業ではないのだ。工場を建設するにも時間が掛かるし、従業員を採用しても一人前の技術者に育てるまでにはそれなりの年月がかかかるのだ。それを長い目で見れないようであれば製造業の誘致は不可能である。もっと別の方法でフィリピンを盛り上げることを考えなければならない。

最後に

私はフィリピンは製造業には向いていると思っている。若い人は多いし、地方にもたくさんいる。それに地方には働く場所が限られている。土地は余っている。それであれば製造業を誘致し、数万人の雇用を生み出し、そこで生活できるようになれば、わざわざ海外に出稼ぎに行かなくても、都会に出て来なくても、十分家族と幸せな生活ができる環境は作れると思う。その中から「これなら自分でもできるかも」という野心を持った若者が登場し、独立し、サプライチェーンに組み込まれればそこでまた新たな雇用が生まれる。一人成功すれば、「あの人ができたんだから私にもできるかも」と思い、一人、また一人と各得意分野を生かしながら大きなサプライチェーンが出来てくるかもしれない。そうして雇用機会を広げていけば、人が集まり、お店が集まり、町ができ、新たな消費マーケットが地域にできる。これが全国に広がればフィリピン全体が盛り上がり、税収が上がり、インフラや福祉にお金を回すことができるようになり、わざわざ海外に出稼ぎに行かなくてもフィリピン国内でしかも地元で家族と一緒に素晴らしい幸せな生活を送れるようになり、フィリピンは大きな発展を迎えることができると思う。

製造業はそのようなフィリピンを変えることができる力を有している。一度にこんなに大量の雇用を生み出せる産業は中々ないと思う。しかも製造業は日本のお家芸である。日本の職人の腕の見せどころである。そういう意味では日本が一番フィリピンに貢献できると言っても過言ではない。

あとはフィリピン政府の覚悟である。フィリピン政府の心構えでフィリピンを変えることができる。フィリピン政府の意思決定に期待している。

ABOUT ME
ようちゃん
こんにちは! 本ブログの運営をしているようちゃんです。 学生時代は部活(水泳部)とバイトに明け暮れ、勉強はほったらかし。大学4年生の時に就活しながら1年生と授業を受ける講義もあり、リクルートスーツを身にまとったおっさんは新入生に白い目で見られながらもなんとか卒業にこぎつけた。 英語が好きだったこともあり、将来はなんとなく海外で働いてみたいなあとぼんやり思っていました。 そこで、大手総合商社を中心に、海外駐在できたり、世界を飛び回れる仕事をやらせてもらえそうな会社を選んではひたすら受けまくりました。 運よく海外に拠点を広げ続けている上場企業の商社に入社できました。 入社前の先輩社員との懇談会で台湾やイギリスなどに駐在経験があった社員から海外駐在時の話を聞くことができ、自分も同じようなキャリアを描けるのかもと社会人人生を楽しみにしていました。 しかし、配属先は経理部に。経理なんてなにをする部署なのかもわかっていませんでした。一体いつになったら海外に行けるのか。そんな不安とともに社会人生がスタートしました。 結局新卒から10年ほど上場企業の正社員として経理部で働きました。その間に紆余曲折がありながらもUSCPA(米国公認会計士)のライセンスを取得。 当時の後輩がインドに赴任したことをきっかけにバックオフィス周りの指導やサポートを行っていました。その後輩は営業経験しかないのに、インド法人を丸ごと任されてしまい、営業以外の仕事をどうしたらいいのか困っていました。私は営業はできませんが、経理を中心とした事務系の仕事はある程度アドバイスできました。当時としては大したサポートにはなっていなかったとは思いますが、それでもとても感謝されました。 そこで思いました。 海外に出ている日本人は同じように困っているに違いない。それなら今の会社だけでなく、たくさんの会社をサポートできるかもしれない。 このインドに放り込まれた後輩をサポートしたことがきっかけで、自分の人生設計を見直した結果、上場企業の正社員という安定した地位を捨て、2015年に突然フィリピンに移住し、海外コンサルタントとして働き始めました。給料が日本にいた時の3分の1近くになって嫁に怒られ、嫁ブロックにあいながらも何とか凌いでいます。 私の予想通り、海外に出た日本人の駐在員は困っていました。 そこで海外コンサルタントの出番です。 日本の常識は海外ではなかなか通じません。 とは言っても、日本のやり方でビジネスを進めていく必要がある場面もたくさんあります。 だからこそ海外コンサルタントは必要なのですが、少子化のせいなのか、若者の海外離れのせいなのか、海外コンサルタントは圧倒的に足りません。 あなたのサポートを待っている企業が必ずあるはずです。 本ブログを通じて、少しでも海外コンサルタントに興味を持ってもらい、海外コンサルタントの世界に参加してくれる仲間が増えてくれれば、駐在している国はもちろん、日本も元気を取り戻してくれることと確信しています。 ぜひ仲間になりましょう!